注文住宅について
心豊かな暮らしを

多世代住宅の醍醐味

「家族の情景」が増える暮らし
家族全員の団欒シーンから始まり、両親と子、祖父母と孫、母と子、父と子、おじいちゃんと孫、おばあちゃんと孫…家族が多くなるごとに、「情景」も増えていきます。
「情景」はひとりひとりにとっての「思い出」です。頭では覚えていなくても心がずっと覚えています。「初めて来た所なのに、なぜか懐かしく感じる」という事が起こった方は、きっと何かの「思い出」の一部と共通した何かがあったのでしょう。
そんな「情景」を和住Edamuraで増やす事ができたら幸いです。

"和み"の心は住まいから

ぼーっとする時間
最近は社会がめまぐるしく「◯◯しなければいけない」「◯◯する時間がない」と、時間にとらわれて余裕のない生活を送っている方が多いような気がします。
日曜日の夕暮れ時広縁で茶庭を眺めていると、蜩の声がし遠い昔が鮮やかによみがえりました。
日本人の感性を大切にした“いえづくり”
日本人の感性
ずっと日本で生活をしているとあたりまえになってしまい気づきにくいのですが、四季に恵まれた日本では繊細で豊かな感性が育まれています。微妙な色の移り変わりを肌で感じ取ることができ、またそれに調和しようという「和」の心が備わっています。
繊細な感性を持つ日本人は、同時に微妙な感性のバランス感覚を持っています。そんな日本人が求める「調和」は、洗練されていて美しく、また「和み」を与えてくれます。どこかほっとさせてくれるものが生活の空間にちりばめられていたら、毎日がより豊かに過ごせることでしょう。
増田邸
澤部邸
和みあるいえづくり
仕事が終わり帰宅するとあたたかい光が玄関や高窓にもれてくる。玄関に入り“ただいま”と言うと“お帰り”と答える。居間に入ると孫が笑顔で「じいじおかえり」と迎えてくれる。夕食の支度が整い家族そろって食卓を囲む。
孫中心に笑いが絶えない我が家。
子供がいて孫がいて家族が集う日本の住風景を思い浮かべ心安らぐ和みの住まいづくりを提供します。
憂いなき、心豊かな住空間。
家の顔とも言われる落ち着いた雰囲気の玄関、主婦の使いやすい水廻り、家族が集う"和み"の居間。構造設計の配慮、地盤の強化などは当然の事、生活する人の動線を重視した心地よい空間、そして家族の安泰を願う家相学……憂いなき心豊かな住空間をご提案します。
松浦邸
多世代家族が共存しあう家
居間の横隣りに主人の居場所
居間は家族の集う部屋、しかしながら寛ぎの時間の過ごし方は個々それぞれ異なるものです。特にお孫さんのいる家庭では当然ながらテレビのチャンネル権は孫に移ります。見たいテレビも見れず、少し調べものがあっても居間では落ち着きません。ならば書斎をと考えますが、人は淋しがり屋。離れた静かな所に自分の寛ぎの部屋を作ってもなぜか落ち着きません。家族のそばにいたいものです。
プライベートでありながら家族の息づかいがわかる位置。
そこが理想的な主人の居場所です。
台所から見える玄関ホール
ひいおばあちゃんや若夫婦の友達、将来的には孫の友達など個々のお客様も見えられるでしょう。客間に通すには堅苦しいし、居間では他の家族に気兼ねする。自分の部屋で気軽に雑談したいお客様もいるでしょう。しかし他の家族に気づかれずに自分の部屋に通し、気づかれずに帰られるのでは少し困ります。
孫も大きくなりやがて思春期、悩み多き年ごろ、だまって玄関からプライベートの自室に入り外から帰ってきた事もわからないのでは、これまた困りものです。かと言って居間や台所の扉を常に開けておくこともできません。(エアコンもききません。)個々のプライベートを大切に、かつ自然と家族の息づかいも感じられるように配慮したいものです。
東西南北に風の道
我家にはひいばあちゃんがいます。年も80歳と高齢の域に達しました。当然トイレは自室近くに設けましたし、介護ができるように少し広めに作っています。家族が集う居間も玄関ホールをはさみ隣りの位置に設けました。

高齢者にはいざという時、最低限の生活がスムーズにできるように配慮すべきであり、又何か異変があればすぐに察知できるように考慮すべきです。居間の外はにはウッドデッキから外のタタキに、又家庭菜園と続きます。東西南北と風が抜け、外の様子も自然に感じられ、個々の楽しみも家族で共有できるような部屋の配置を心掛けています。
仕事への取組
想いを込めて
私は現場が好きである。と言うより人にまかせきりにできない質である。
現場がはじまると朝一番で現場に行き、職人さんと打ち合わせ又要望を言いその仕事ぶりを昼まで見ている。昼食をとりに事務所に帰り用をたし、午后特別な用事がないかぎり又現場に行く。いわゆる設計事務所の監理の発想で、施工に取り組んでいる。したがって、もう30年程建築の仕事をやっているが他の仕事と重なり合う事はほとんどなかった。
お客様にとっては一軒一軒全力で取り組んでいるので良い事だろうと思うが、職人さんには嫌う人もいる。又、経営的には大変である。もう少し人にまかせその時間を他の仕事をやるとか営業に出れば良いのだが、なぜかそれが出来ない。長い間それが私の仕事のスタイルである。

しかし頭で考えイメージが湧きそれを図面にし、又イメージがふくらむ。それらが基礎工事からはじまり、建前と移り屋根ができ何ヶ月後に完成、そして外構工事。
この建物が出来上がって行く過程が本当におもしろいし胸がワクワクする。

そして世界に一つしかない手作りの作品が出来上がる。

修行時代は1つの物件が完成するとそれを見て目頭があつくなるような感激をおぼえたものでしたが、さすがに今はそれはなくなりました。しかし手掛ける物件1つ1つを自分の作品として捉え、想いの全てを入れ込んで取り組む姿勢は今も昔も変わりません。
茶室建築に思う
茶室も茶庭も茶事を行なうための空間・道具にすぎません。言い替えれば茶事のできない茶室は茶室ではありませんし、茶事のできない茶庭は茶庭ではないのです。又、茶室のみでも成り立たないものです。茶室があり、水屋があり、茶庭があり、蹲踞(つくばい)があり、腰掛待合がある。それらすべて茶事を行なうために動線を考え、使いやすさを考えてはじめて成り立つものです。

しかしながら世間には茶室や茶庭でないにせものの茶室・茶庭と呼ばれているものがなんと多いことかと、嘆かわしい思いで一杯です。公共施設の茶室と言われている部屋、施設もほとんどが茶事のできない代物です。茶道を世界に誇れる日本文化の一つと捉えるならば、少なくとも公共施設の茶室は、だれが見ても恥ずかしくない本物の茶室を造るよう茶道に精通している方に設計を依頼するべきでしょう。

お茶の先生方も茶事ができる本当の茶室を持って茶道教室(社中)を開かれている方はほとんどいないようです。それはお点前のお稽古はしても茶事をしないからです。しかし茶道というものは茶事をやってこそ茶道というべきもので、茶事をしないということは茶道の指導に本質的にはずれていると思うのです。茶庭についても蹲踞があれば茶庭と思われている方が多いようで、日本庭園を得意としている造園屋さんもほとんど茶道をかじった事さえない方々です。この方々が造る茶庭はほとんど茶庭風の庭であり、茶庭ではありません。蹲踞も単に飾りです。茶事を行うために動線を考え、その動線上に蹲踞があり、中門があり、腰掛待合があるのです。
本物の茶室造りを茶道の本質とともに見つめ直し、茶道文化を消さぬためにもがんばりたいと思うのです。
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